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傷ついた体験に向き合わないでいると・・・
自分にとって、心が傷ついたと感じたなら、
それは傷つき体験になります。
朝食にアジの開きを出しました。
それを見た父が、
「焼きすぎだね」と何気なく言いました。
その発言を聞いて、心がざわつきました。
父にとっては、アジを見て、思ったことを言っただけ。
私にとっては、
「朝から朝食もお弁当も作っているのになんで言われなくてはいけないの?」
「私にとっては焼きすぎじゃないし…」
と複雑な思いが湧き上がりました。
『傷ついた』といえば傷つきました。
『なんてことないこと』といえば、なんてことないこと。
『父は魚をみて、”焼きすぎ”と思った。私はそうは思わない』と思えば、
思える。
何も考えず、何も思わず、その出来事に触れないこともできる。
いかようにも捉えることができます。
今回私がしたこと。
「父の発言で傷ついた。なんか心がざわついた。
父は焼きすぎと思ったけど、私はそうは思わない」
とおさめました。
自分はどう思ったか、
どう感じたかを整理する。
受け止める。
そして切り替える。
傷ついた体験を「なんてことない」と思う。
何も考えず、何も思わず、その体験に触れない。
上記のように対応すると、
心の底でずっとモヤモヤやざわつきとして残ります。
些細な傷つき体験でも残る。
その蓄積は自分を苦しめていきます。
心や身体に影響が出始めます。
私の場合もそうでした。
傷つき体験に向き合うには勇気がいります。
でも、向き合うことで苦しみから解放されます。
解放された私は、今は元気に目標に向かって進んでいます。
苦しみに向かって進むことはもうありません。